ポートフォリオ
昭和本舗・1960年代昭和レトロの街角
●1960年代、懐かしの新橋駅前広場です。 映画「コクリコ坂から」で、主人公たちもこの風景に降り立ち、今ではSL広場として知られるこの広場は、昭和42年頃まではその場所に新橋ステージがあって、テレビ放送の黎明期には各局の街灯テレビが周りに併設されていました。 ステージ上では力道山等のプロレス中継をステージ上の幕に投影したり、また演説や踊りなど、数々の活気あふれるステージは当時のニュース映像でしばしば登場します。 そして、広場を囲むように焼鳥屋や喫茶店をはじめとする飲食街が軒を連ねる中、ステージの下には場外馬券場が併設されており、サラリーマンの平日とは異なる週末独自の賑わいも加わり、ここは一年を通して新橋の街に彩りを添える街の役割を担ってました。 そんな社会の衆目を集めた当時の新橋駅前広場を、子どもの頃を思い出しながら描きました。 毎日のように、ガード下の京浜デパートへ母親の買い物へついって行ったもので、ウインナーソーセージの試食がとても楽しみでした。 東急ハンズ・ギャラリーマーケット https://hands-gallery.com/shop/kouzuki/exhibits
●「夕暮れ銀座・1965」 JIA Illustration Award 2017優秀賞作品 3 昭和40年~41年頃の銀座四丁目交差点から、三愛ドリームセンター、ソニービル、日劇を望む。 ここからの景観は昭和の絵葉書でも数多く見られ、私にはもうひとつの昭和35年銀座の作品もありますが、今回はその5~6年後の情景です。 有楽町側を望む写真などの構図は五丁目(三愛側)だけの絵が多く、このように四丁目(和光側)も一緒に一枚に収めたものほ、めずらしいことと思います。昭和レトロなイラストです。
●「数寄屋橋・1963」 JIA Illustration Award 2017 優秀賞作品 1 昭和37年~38年頃の数寄屋橋交差点の情景です。この旧ソニービルが取り壊され地上8階、地下5階の斬新な新ソニービルがお目見えするのは数年後の昭和41年のこと。 また、不二家の大看板が、フランスキャラメルからペコちゃんに変わったのもこの頃で、街には個性あふれる広告が映えてました。クリスマスに、幼少時、赤い長靴のお菓子詰めを初めて買ってもらったのも、この風景の中でした。 昭和32年のには丸ノ内線が開通し「西銀座駅」が開業し、東京オリンピック前に改称して駅名は現在の「銀座駅」に。 今や、三愛ドリームセンター意外のすべての建物が取り壊されてしまったこの一帯の懐かしき光とネオンの美しさは、今後も描いていきたいモチーフです。 昭和レトロなイラスト
「茜色の街 新宿・1960」 昭和35年頃の新宿東口より新宿大通りを望む。 現駅ビルのマイシティーは過去に新宿ステーションビルと呼ばれ、さらにその建設前に建っていたこの旧駅舎は、ゴシック建築の風情で長きに渡り角筈の街に腰を据えておりました。 安岡章太郎の私小説「サアカスの馬」に登場する少年が、国鉄職員と窓口で切符のやり取りの場面に出て来るのが、まさにこの建物。上野駅のホールのような鉄骨むき出しの梁の下での出来事です。 この絵の当時、屋外では戦後のヤミ市の名残りであるマーケットがまだあり、またワシントン靴店、高野、中村屋、さらには遠方に三越と伊勢丹のネオンが煌々と灯ります。 そんな昭和レトロな世界にプリンス・スカイラインとボンネットバスを走らせ、上月伸仁が総天然色で描き上げました。
「東京宵時雨・1963」 JIA Illustration Award 2017 優秀賞作品 昭和38年昭和の懐かしい芝公園の一帯。 写真撮影者から写真提供のご厚意を受け、この大好きな東京タワーと赤羽橋を描くことが出来ました。 東京タワー竣工の5年後には、真下の丸い大屋根のタワーボウルが開業。後を追うように「東京12チャンネル」の社屋が建ってきます。ボウリングブームの1970年までは、あと7年を要します。 また、このオート三輪のマツダT2000もまた懐かしいトラックで、我が家の前では氷屋さんがこのT2000でやって来ました。運んできた氷柱は、車上で大きなノコギリで切断し配達し、その際に出る氷のカケラやかき氷?を、いつも待っては頬張っておりました。 昭和レトロなイラスト
2014.10月 第10回日本イラストレーター展出品作「灯花の銀座1960」 正確には昭和34年 銀座の宵の情景に、昭和35年型の国産車を走らせました。三愛ドリームセンター竣工の3年前ですが、今なお定番の風景ですね。この時代の広告塔ネオンはとても個性的で素晴らしく、ここが映る古い映像に心惹かれます。 作業の半分の時間は時代考証で、この時代のここには何の建物や広告があったのかを調べあげ、動画や断片写真からは色を捜すと言う訳です。 ↓ どうぞこちらへ http://kouzuki.hp-ez.com/page17 「スタジオ上月webサイト」 https://www.facebook.com/syowahonpo 「総天然色・昭和本舗」 昭和レトロなイラストです。
●「夕暮れ芝公園」昭和30年代の東京タワーの情景です。 オリンピック前なので東京プリンスホテルが建っている筈もなく、増上寺の石灯籠などは戦災より倒れたままで、芝公園は未整備。ゴルフ練習場が出来るのもまだまだ先のこと。そして、タワーの第二展望台は、まだ小さくてて気象観測用の施設でした。懐かしいボンネットバスと都電が行き交う日比谷通りを描きました。 http://kouzuki.hp-ez.com/page17 昭和レトロなイラストです。
●「新宿角筈暮色・1964」昭和39年頃の新宿駅停留所の情景です。都電の窓明かりにうっすらと照らし出される帰途の親子連れや老夫婦を、薄暮の情緒の中に描いてみました。 すでに家具のミドリヤは無く、オーシャンウイスキーは吸収合併され、懐かしいアサヒビール・ネオンは、ここと歌舞伎町のビルの屋上にもあって、煌々と新宿の夜空に灯ってました。 この広い靖国通りには何系統もの都電のホームがあって、国電や西武線へと乗り継ぐ客は、その頃多かった個人商店で買い物をしたりと、現在のような若者中心の街風景とは違い、サラリーマンやBG、学生や子ども連れの主婦がもう少しゆっくりと行きかっていたように思えますね。 http://kouzuki.hp-ez.com/page17 昭和レトロなイラストです。
●「東京の灯1964」 昭和39年東京オリンピックを機に、高速道路や東海道新幹線が開通した頃の丸の内・八重洲あたりです。 今では東京駅八重洲口もすっかり様変わりし、新デザインの玄関と高層ビルとが相まってあの頃を見るよすがもありません。 このガソリンスタンドのネオン・サインボールは戦後の外堀を埋立てられたばかりの地に出現し、路上からかなり目を引くものでありました。父の車でこの外堀通りを行き交うとき、そんなガソリンスタンドの景色と新幹線ひかり号を車窓から子ども心に眺めるのが大好きでした。 プリンス.グロリア、トヨペット.クラウン、日産ブルーバード。そして、東宝の映画・若大将シリーズで銀座メトロスポーツの店員も乗って走っていたミゼット。個性豊かな昭和の車たちの共演。 次回作には、雨の外苑、夜霧の日比谷を描きたいものです。 http://kouzuki.hp-ez.com/page17 昭和レトロなイラストです。
●「明けの日比谷濠1964」 『インターナショナル・イラストレーションコンペ入選作』 1964年。この個性豊かな背景のゴシック形式の建物が揃ってたのは東京オリンピックの年が最後でした。この内堀通りには都電が悠々と走り、懐かしいワーゲン・ビートルやプリンス・グロリアも走ります。早朝の日比谷濠の情景を想い描きました。 その後、遠景の東京会館、帝劇、第一生命ビル、丸の内警察、大正生命ビルは、オリンピックの年の昭和39年から、一つひとつが建て替えられていきました。また、東京会館に至っては更なる建て替えの予定もあるとのことで、2015年1月には再び取り壊される予定なのだそうです。あの旧館の復刻を望みたいものですね。 http://kouzuki.hp-ez.com/page17 昭和レトロなイラストです。
昭和30年代東京タワーの絵を総天然色で描きました。 まだ戦災の爪跡が残ってた手前の増上寺境内では、月光仮面が走り、日比谷通りには都電がガタゴト走ります。ここを通過する時、誰しもが窓の外を仰ぎ見るのです。なかでも一番速く駆け抜けて行ったのは、高度成長中の日本社会だったのかもしれません。昭和レトロなイラストレーションです。
人物イラスト・リアルタッチ
点描画イラスト・モノクロ他
フライボール革命 挿入イラスト
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