懐かしいものが出てきた。昭和49年の秋に来日したニューヨーク・メッツとの日米野球にあたって、後楽園球場の指定席用に配られた冊子。見開きでB3大の紙面は立派です。 しかし何だって外野自由席にいた僕が、この冊子を所持しているのか。 あのあと、外野席からうまいことバックネット裏まで紛れ込んで、ちゃっかり放送局のテレビカメラ横で、試合を観戦していた事までは覚えておりますが...
この頃の大リーグチームの強さときたら、全日本チームを以ってしても殆ど歯が立たなく、10戦して2つ勝てばよい方。なにしろ、パワーもスピードも凄まじかった。
僕は、その3年前に来日していたボルチモア・オリールズとの日米シリーズにも、交通費を節約し後楽園球場まで徒歩でわざわざ前売り券を買いに行ったほどで、もちろんこのメッツ戦も、ちゃんと前売り券を1枚確保しておいたのです。 とにかく日米野球の人気ときたら、観戦料がレギュラーシーズンの2倍。内野席は小学生のお小遣いの一年分以上。そんな事情から、100円の外野自由席が僕らの定着席でした。
さて、メッツ対全日本の試合は祭日のデーゲーム。学校が休みの僕は、ひとまず午前中は近所の仲間らと遊んでおいて、早めの昼食をとり、国電で水道橋の後楽園球場を目指す段取りでいました。 よせばいいのに、僕はその仲間に今日の日米野球を観に行く自慢をしてしまったものだから、2歳年下でキカン坊のAちゃんという子は、自分もいっしょに行くと言い出し聞きやしない。仕方なく、足りないチケットは現地で何とか調達できるだろうという安易な発想で、その気にさせてしまったAちゃんを伴い、僕らは後楽園球場に向かうこととなったのです。
駅に着いてみれば、すでに球場に向かう群衆で改札出口から渋滞が始まっており、雑踏で蒸しかえる水道橋の陸橋を渡り、人波をかき分けて、ようやく球場のチケット売り場に辿り着くことが出来きました。
ところが、窓口には既にカーテンが下りていました。でも、その隙間から奥で事務整理をしている売り子さんがわずかに見えたので、Aちゃんが「切符を1枚ください!」と何度も声をかけてみました。
しかし、中の女性職員はとりあってくれず怪訝そうに顔を上げて首を横に振るだけ。 僕はAちゃんを諭し、まだ入場する手立てが尽きた訳ではないからと、諦めていませんでした。当時の後楽園球場の作りには、かなりのスキがあったので、何とかそこから身体が小さく要領のいいAちゃんをネジ込もうと考えたからです。
ちょうど右翼席の下には、外界とグランドを結ぶ空間があって、そこが投手のブルペンにもなっておりました。そのぽっかりとあいた空間の彼方には、芝の上に立つ憧れ選手達の背番号がチラほらと小さく見えました。 僕は、何とか球場職員の隙をついてAちゃんをここから滑り込ませてしまおうと、しばらく動向を伺うのですが、職員たちはなかなか持ち場を離れそうにありません。 すると、業を煮やしたAちゃんが、そのすぐ脇の外野席入場口の方へ歩きだし、つなぎ服を着た係員に詰め寄ったかと思うと、 「ねぇ、切符が一枚買えなくて一人入れないんだよ。お兄さん入れてよ!」 と大胆な直談判を始めたのです。 やはりここでも、切符もぎりのお兄ちゃん達には当然のように請け合ってはもらえません。 ただ苦笑いされた分、突き放された気分にならずにすんだのが救いでした。
それから僕たちは、球場の様々な通用口や、センターの観覧席下の大きな網の搬入口、またはよじ登って越えられそうなポイントを物色して回るのですが、今回は人気のカードとあって、さすがに人目のスキがありません。
そろそろ試合が始まる頃、途方にくれながらも僕たちはまだ外野の場外あたりをうろついていました。そこで目に飛び込んできたのが、急ぎ足の客の往来を見回しながら一人だけ違う雰囲気を漂わせているオジサン。 短髪で割と固太りの40歳くらいの人で、そのポロシャツの胸のポケットには、チケットの束がごっそりと顔をのぞかせているから、飢えた僕らの食指が反応しない訳がないのです。 「ねぇ!上月くん。あの人たくさん持っているから、たのめば一枚くれるんじゃない」 と、Aちゃんの鼻息が荒くなりはじめました。 一か八かあたってみるかと、二人で(仕事中の?)オジサンの目の前に立ち、 「そんなにいっぱい持ってるんだからさ、一枚くらいちょーだいよ!」 (おいおい、もっと丁寧な頼みようがあるだろ~) 僕らが話しかけてみると、さっきのチケット売り場の女性とは違って、ハナから子どもを寄せ付けないという気配はなく、目では流れ客を追いつつも、耳では困っている僕たちの言葉に反応してくれているように思えました。 どうやらこのオジサン、口数は多くないのですが、まんざら子どもを嫌いではなさそうに思えたので、もうひと押ししてみるかと、 「じゃぁさぁ、一枚でいいから売ってよぉ~!」 (おいおい、ボッたくられたらどうするんだ) Aちゃんは、恐れを知らぬというか、人よりワンテンポ早く何でも口に出してしまう性分です。すると、オジサンは少し口元を緩ませ、スッと胸のポケットからチケットを一枚、差し出したのです。 「え~やったー!、売ってくれるの」 二人で目を輝かせていると、オジサンは首を横に振り「いいよ」と、チケットを手渡してくれたのです。僕たちには、飛び上がる程うれしい瞬間でした。 「オジサン、いいの?!ありがとう」
何時までも舞い上がってばかりはいられないので、オジサンの気が変わらないうちに、小走りに何度も何度も振り返ってはお礼を告げ、僕たちはその場を後にしました。
そして今度こそと、小躍りしながら例の外野席入場口へ。 兄ちゃん達に切符を渡すと 「ほーら、ちゃんと切符もってるよ~」 と、Aちゃんは有頂天。兄ちゃん達は一瞬目を疑うように日付のをチェックなどしてましたが、めでたく二人は関所越えを果したわけです。
あの切符もぎりの兄ちゃん達は、合点がいかない複雑な笑みを浮かべてましたが、それにしても、あの親切な神様のようなオジサンの正体は一体何だったのか。
僕たちがもっと大きくなり、社会のしくみが分かるようになるまでは、ずっとオジサンは神さまでした。
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