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執筆者の写真上月 伸仁

時をまたいで

更新日:2019年9月26日

わたしは昭和の風景が大好きで、まぶたの裏に焼き付いているあの頃の街をもう一度歩いてみたいと、どれだけ渇望し続けていることでしょうか。 そんな一助をしてくれるのが懐かしの映像番組や、昔の思い出であります。またこの懐古心が、ライフワークであります昭和の情景画への創作エネルギーそのものなのです。

そもそも、なぜ他人よりも昭和への懐古心が強いのかと言えば、生まれ育った地の街の活況が思い当たらずにはいられません。 僕が幼少期を過ごした1960年代はとても有り難いことに、日比谷や銀座は子供のお散歩・探検コースで、田村町のNHK放送会館に至っては、大通りを隔てたすぐ向こう側でした。 僕は東京五輪開会式の空を仰ぎ、また全国の子ども達が憧れた夢の超特急ひかり号や東京タワーを、毎日拝めたわけです。そのような環境で育ったことが、昭和の描き手としても大変貴重な私の宝物になっております。

そんな幼少のある日、僕が自宅の前の地べたでブリキの自動車を無造作に走らせ遊んでいると、NHK方面から10人程の一行が、誰かを取り巻くようにゾロゾロとやって来て、僕に向かって濁声で一声掛けてくるオジサンがいました。 「おいボク!そんなことしたら自動車がこわれちゃうぞ~」 見上げると、いつもブラウン管に映っている三遊亭金馬さんが笑顔で立っているではないですか。 きっと人気公開番組だった“お笑い三人組”などの放送関係者とご一緒だったのでしょう。 「ボクは何才だ?そっかそっか、4歳かぁ~」と、ふり返りながら斜め向かいの「酔心」という釜めし屋へと入っていきました。 その模様を直ぐさま、わが家に飛び込んで親父に報告すると、とくに驚く様子もなく「おう、おう」笑いながら、この辺じゃ、さもあり気な場面として受けとめているようでした。 このあとも、そんな機会が何度かありましたっけ。

さて、時は40年以上流れて、我が息子が通う幼稚園で知り合ったお父さん同士の中で、偶さか金馬さんのご子息と知り合う機会に恵まれました。 聞けば、僕より年が一つ上の会社員。当時、どうりで金馬さんが道っ端の男の子に気軽に声を掛けてきたわけです。同じ年頃の子供の遊び姿が、ご自分の息子さんと重なったのでしょうね。その息子さん、お父上の食事処だった釜めし屋の店名まで知っておられました。

あの当時、三遊亭金馬といえば声優としても「シンドバットの冒険」のオウム役のソルティーや、テレビドラマ「ミスター・エド」の話せる馬としてご活躍で、当時の子ども達においても逢えたら嬉しい超がつくほどの有名人。 わたしは幼心にも声を掛けてもらって、とても嬉しかったことへのお礼を、金馬さんと顔がそっくりで、ちょっとお鼻が赤い息子さんへお伝えしました。 金馬さん、今なお お元気とのことで。


日比谷公園北側 晴海通りを有楽町方面 ユリノキ並木と都電と東京会館「 明けの日比谷濠1964 」

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